自然体の自分が好き。努力の習慣化が成功した人の言葉だと思う。

だんだん歳を重ねて、経験も積み重ね、よく言えば、【熟してきた】悪く言えば【老化】。母として一息ついたとき、直面しました。

今までは「ありのまま」「自然体」が素晴らしいとされていたけれどふと気づけば、ありのままの自分は半年以上切っていない髪の毛、剥がれ落ちたネイルでした。これを「自然体」「ありのまま」といって肯定していいのでしょうか?

そうすると、インスタグラムで見るようなキラキラ女子に「無理しちゃって〜」「みんなほんとはだらしないのに〜」に敵視し、攻撃的に。それって悪循環ではありませんか?

・髪の毛を切りに行く時間を作るために努力する

・ネイルのお金のために仕事をする

この努力を意識的に習慣化し、【自分のための努力】を特別視しない、当たり前のこととして捉えるようにしています。そのほうが他人にどうこう思うことが激減し、自分が幸せになるような気がするのです。

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